特集 美保関

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えびす様と三穂津姫命…神話が息づく町

美保の関

島根半島の東端。北に日本海、南におだやかな美保湾と中海をのぞむ美保関は、その名の通り、古くから海上交通の関所だった場所。帆に風を受けて航行する船の“風待ち港”として、特に江戸~明治時代にかけては、買積み廻船の北前船の寄港地として栄えた。
 そんな港町には、釣り好き・鳴り物好きの神と親しまれる『えびす様(事代主神)』と、その義理の母上にしてこの地の山に稲穂を持って降りられたという『三穂津姫命』、二柱の神にまつわる物語が、今も脈々と息づいている。その聖地・美保神社は、町の人たちの人生と寄り添うだけでなく、海運・漁業、農業を営む人たちが県外からも参拝に訪れる“心のふるさと”でもある。鯛を手にしたえびす様の笑顔を心に感じたら、来る年は何だか良い事が起こりそう。さあ、神々のふところ・美保関に足をのばしてみよう。

美保神社の鯛絵馬。ご祭神のえびす様(コトシロヌシ)は手に鯛を、ミホツヒメは手に稲穂をもっていることに由来し、鯛が稲穂をくわえている絵柄。本殿横の絵馬掛けに竹竿で吊すとなんでも願いがかなうとか? ちなみに神様は一人二人ではなく、一柱二柱と数える。

出雲風土記の時代8世紀には
その名が記されている古社・美保神社を訪ねる。

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浅瀬の船泊りで水面に遊ぶカモメたち。潮風にはためく、名物のイカ干し。のどかな漁港の風景を眺めながら100mほど歩くと、「美保神社」の参道が広がる。ゆるやかな石段を登るたびに、ふもとの土産物店の賑わいや車の音が遠ざかり、裏山を背にした荘厳な神社のたたずまいが迎え入れてくれるのだ。海運・商売・五穀豊穣の神として崇められる御祭神は、えびす様(コトシロヌシ)とミホツヒメ。本殿は、それぞれの御霊を祀ったお社が連結した比翼大社造で、手前に船蔵を模した拝殿が鎮座している。
 ここ美保関は、はるか神代の頃に国譲りの舞台となった神秘の地。コトシロヌシは、出雲国を治めたオオクニヌシの第一子で、美保(沖の御前・地の御前)で釣りをなさっていた時に、高天原から遣わされた使者に国譲りを承諾し、海中に造った青柴垣に御隠れになった。その時、コトシロヌシが天逆手を打って、国譲りの約束を交わしたという故事は、話し合って物事を円満に納める時の伝統的なセレモニー、一本締めなどの“手打ち(手締め)”の起源になった。
 もう一人の神・ミホツヒメは、オオクニヌシの御后様で、美保という地名のゆかりの神様。五穀豊穣の守護神として稲作農家の信仰が厚く、田植え後の泥落としなどで豊作を祈願する。参拝で受けたお札(関札)や御種(社の稲の実)を田んぼに供えると、害が無く望むままの作物ができるとの言い伝えあり。境内の奥には、この御種から生まれた御神竹が植わっている。
 そんな二柱の神様を、町の人たちも守り奉ってきた。その一つが、地元の氏子から成る「当屋」という組織だ。毎年、そのトップの「頭人」に選ばれた氏子は、一年間朝晩のお参りを欠かさず、神職の人たちと共に主要神事の中心となって活動する。頭人の期間は神様に仕える身。家族・知人も含めて、一切の忌み事には参列しないという規則が現在も固く守られている。美保神社は、海と共に生きる町と人々の、心に深く息づく存在なのだ。
美保神社の大鳥居を背に、石畳で覆われた小路を左に曲がると、美保神社のもう一つの参道・『青石畳通り』がある。
江戸時代、この幅3メートルの通りを往来したのは、西廻り航路の北前船の積み荷を載せた大八車だった。海産物や米・木綿などの積み下ろし作業の便を考え、海辺の青石を切り出して敷きつめたのは、当時の町の人たちである。その雨にうたれた時に淡く浮かぶ空色は、目前に広がる海の色を映すようにも見え、何とも言えない風情がある。
通りの両脇には、与謝野鉄幹・晶子夫妻、高浜虚子、西条八十など多くの文士たちが訪れた老舗旅館や旧家などが立ち並ぶ。ゴツゴツとした海石の心地よい感触を味わいながら小路を歩くと、荷車の車輪の音や人々が賑わう声が聞こえてきそうだ。

えびす信仰と鯛
えびす信仰は、本来漁村で「海幸の神」として信仰されたもの。その起源になった地、コトシロヌシが鯛釣りをされた沖の御前、地の御前があり、春、産卵のために集まってきた鯛の群れは、より鮮やかな朱色になる。室町時代以降、鯛とえびす様が一体化したのは、朱色に輝く鯛が「海に浮かぶ太陽」に見立てられえびす様と結びついたと考えられている。えびす信仰は中世以降、七福神信仰と合体して現世御利益を求める「市場、繁盛の神様」となって、上方からの商業文化の波に乗って全国に広まっていった。

美保神社
天平5年(733年)編さんの「出雲国風土記」・康保4年施行の「延喜式」にその名を記された古社。国指定の重要文化財で、大社造りの二殿が連なった特殊な形式の本殿は、文化10年(1813年)に造営された。境内拝観自由。※近隣の観光駐車場(無料)を利用。
住所/松江市美保関町美保関608
TEL/08552・73・0506

左上/美保神社の日供(にっく)祭。365日、毎日9時頃と15時30分頃の2回、拝殿で雅楽と巫女さんの舞を奉納。一般でも見学自由。
右/屋根の上にV字型に突き出した千木(ちぎ)は、内削ぎなら女の神様、外削ぎなら男の神様を祀っていることを表わす。向かって左がえびす様、右がミホツヒメのお社。
真中下/えびす様の福種銭。お借りして商売の元手に加えると福徳を受けられる・・・。 
左下「えびす様は鳴り物がお好き」との信仰があり、昔から、めずらしい楽器が多数神社に奉納され、この内846点は現在、国の重要有形民俗文化財に指定。写真の大 (おおどう)はその中でも最大で、鳥取藩で使用されていたもの。現在でも毎朝の日供祭や特定の祭典時に使用される。オルゴールは現存する日本最古のもので、1864年松江藩の最新鋭の軍艦「八雲丸」の艦長が長崎から持ち帰り奉納した。※境内の一角においてある大 以外の楽器は一般公開はしていない。

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美保関のパワースポット

右下/男女岩(めおといわ)
境水道大橋を渡り、東に一直線。美保関灯台へとつづく「しおかぜライン」。その途中に注連縄がかかった二つの岩が見えてくる。その形から子宝に恵まれるとの俗信が生まれ、地元での縁結びの聖地に。
左上.左下/久具谷社
仏谷寺裏手の山の中にある久具谷社へ、美保館の定秀陽介さんに案内していただいた。美保の七福神の御一柱であり、ヒキガエルのお姿をした縁起事の神様「タニグクノミコト」を祭った社。うっそうとした森に佇む社がどこか神秘的なムードを漂わせる。水木しげるさんが、“この山には妖怪がいる”と言われたのだとか。
上真中/地の御前、沖の御前
美保関灯台の横にある美保神社の飛地境内とされる「地の御前」。また沖合い4kmには、同じく「沖の御前」もあり、こちらはえびす様が鯛釣りをしていたとされる伝説の名所。6月の数日ほどこの鳥居の真ん中からの日の出を観ることもできる。清々しい神気を感じるパワースポットだ。

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美保関灯台

美保神社からさらに島根半島を先端に向け車で走ること約5分。明治31年に造られた石造りの風格ある美保関灯台に着く。「世界の歴史的灯台100選」にも選ばれていて、日本海を一望する「観光ビュッフェ」では、行きかう船や天気の良いときには「隠岐島」をながめながらお茶や食事をすることができる。
観光ビュッフェ9時~17時営業。木曜定休。TEL.0852・73・0211。

「国引き」「国造り」「国譲り」…出雲神話の舞台・美保関

国引きでできた土地・美保関

出雲国風土記「国引き」神話によれば、ヤツカミズオミツヌは出雲を「小さく未完成の稚国」と嘆き、朝鮮半島、隠岐島、北陸地方の余った土地をひっぱてきたという。最後に高志(越)の国の都々の岬の余りを引き寄せたのが現在の美保関。その時の綱が弓ヶ浜半島で、つなぎ止めた杭が大山であると言われている。

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力持ちのヤツカミズオミツヌによる「国引き」の図。美保関はこの国引きによってできた地であると伝えられている。

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古事記にも記されている「国譲り」神話の一場面。コトシロヌシと天ツ神の使者が相対している。

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「諸手船(もろたぶね)神事」

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「青柴垣(あおふしがき)神事」

ゆるり、ほっこりの港町歩き青石畳通りを行く。

太鼓醤油店 この地で150年以上醤油を作り続ける昔ながらの醤油やさん。伝統を守り続けたその製法と極上の味で全国からも注文が。名物の醤油アイス(250円)やもろみ金山寺(840円)も絶品。

月日貝の貝殻 路地裏の民家周りで発見。「月日貝」は、表は紅く太陽を、裏は白く月を意味し、恋する男女がこの貝殻の月側と日側を分け持っている限り、どんな困難に遭遇しても、必ず再び出逢い、結ばれるという申し伝えのあるとってもロマンチックな貝。

美保関名物・イカ焼き屋台 香ばしい匂いに鼻をくすぐられたら、迷わず立ち寄るべし。港に点在する屋台では、新鮮なイカを丸ごと七輪で焼き、その場で食べさせてくれる。肉厚で旨味たっぷりの焼きイカはゲソまでやわらかく、甘さ控えめなタレと相性抜群だ。屋台のおばちゃんたちはそれぞれにタレの味を工夫しているので、“家伝の味”を食べ較べるのも楽しい。お持ち帰りもOK。1パイ/500円。

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↑美保館本館 1908年建築の数寄屋造りで、国の有形登録文化財に指定。1階の天井が舟形のガラス張りになっているのが印象的。また、多くの文人たちが宿泊した部屋がそのまま残されている。現在は宿泊は新館になるが、宿泊客の朝食や結婚披露宴などで利用可能。宿泊の女性客には竹久夢二の描く図案を基にした色柄浴衣の貸し出しも。お問い合わせは新館まで。TEL.0852・73・0111