倉吉淀屋

倉吉市内最古の町屋建築とそのエリアに、
江戸時代を駆けぬけた豪商「淀屋」の面影を訪ねる

倉吉・玉川沿いの白壁土蔵群を抜け、まっすぐ西へ。今から200年前、かの伊能忠敬が測量調査に歩いた街道・八橋往来の一角に、08年秋から一般公開が始まった市内最古の町屋建築、『倉吉淀屋』がある。
 1760(宝暦10)年建造の商家の主は、江戸時代、伯耆国・倉吉を代表する商人の1人として、江戸前期(1700年代初頭)から明治まで8代続いた牧田家。米、材木、木綿糸、農具の稲扱き千刃などを広く扱い、大商都・大坂との交易を介して、伯耆国や鳥取藩の繁栄に貢献した一族である。その住まいの跡が、長い歳月を経て、ベールを脱いだのには理由がある。この牧田家こそ、安土桃山時代末期に創業し、江戸・幕末まで“天下の豪商”として名を馳せた大坂『淀屋』を、陰で支えた一族だったのである。これまで歴史の表舞台では語られなかった二つの淀屋。八橋往来に面した町屋とその周辺には、その足どりが今も静かに息づいている。

なぜ、ここ倉吉に「大坂・淀屋清兵衛」の石碑が?

昭和54(1979)年、牧田家の菩提寺にあたる浄土宗の古刹・大蓮寺(倉吉市)の境内で、「大坂・淀屋清兵衛」の文字が入った古い石塔が発見された。この事実がきっかけとなり、ひっそりと岩倉町の一角に佇んでいた「旧牧田家母屋」と、大坂淀屋の強い絆を裏付ける研究が一気に加速することとなった。
 その圧倒的な財力で、幕府や諸国大名に膨大な融資を行った大坂淀屋は、それが仇となって、闕所処分(※大坂所払いの上、全財産没収)という憂き目に遭う。一度は暖簾をたたみ、財界の表舞台から姿を消した淀屋だったが、氾濫する淀川の築堤工事を完遂し「淀屋橋」を架けた初代当主・常安からの商魂は、1705年頃に闕所処分となった5代目広當まで失われることはなかった。淀屋の存在を忌々しく思う幕府の動きを読んでいた4代目重當は、闕所処分の35年も前に、淀屋の大番頭を倉吉に送り込んで暖簾の再興を託す。その人物こそが、牧田家の初代・仁右衛門である。
 重當の娘を牧田家の娘として伴い、倉吉に根づいた仁右衛門は、淀屋当主との三つの約束を堅く守ったとされる。其の一、主家の血を絶やさない。其の二、大坂に旗を掲げる。其の三、けっして突出しない。…1720年代、2代目の牧田孫三郎が倉吉で屋号の「淀屋」を名乗り、地域の特産品の米と鉄、伯州綿の生産に貢献。牧田家は、次第に倉吉で頭角を現し、ついに大番頭・仁右衛門が当主との約束を果たす時が訪れる。闕所から58年後の1763年、4代目牧田五郎右衛門は、大坂で『淀屋清兵衛』の暖簾を掲げたのだ。
 暖簾の再興以後、淀屋は代々「清兵衛(通称)」を名乗り、鳥取藩との関係を強めていく。当時鳥取藩の藩庫があった橋津港(※現湯梨浜町)経由で、倉吉周辺で生産される手紡ぎ糸を流通させ、木綿商人として活躍。尊皇攘夷と倒幕の気運が高まる1859年に廃業するまで、倉吉の牧田家は、大坂淀屋の暖簾を守り抜いたのだった。


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その不屈の商人魂はロマンと勇気を与えてくれる

山奥の材木商が、ふとしたチャンスを掴んで大都市に進出。土木開発工事や稲扱き千刃の販売、そして米の価格を安定させる米市の設立で成長を遂げながらも、幕府や諸藩への総額百兆円もの融資が原因で、5代目で取り潰しに遭う…。“出る杭は打たれる”の前期・淀屋辰五郎の浮き沈みは、ドラマチックな「人生双六」のようだ。しかし、取り潰しという苦い教訓を生かし、稲扱き千刃の販売で培った情報網から伯耆の山里・倉吉に潜伏。力を蓄えて、商都・大坂に再び返り咲く。淀屋一族の血筋に流れる、先見性と不屈の商人魂は、どこか息苦しい今の時代に、ロマンと勇気を与えてくれる。

サイズ流倉吉散策

主人の命を守り、伯耆・倉吉の地で『淀屋』の暖簾再興のチャンスをうかがい、見事に成し遂げた牧田家。その堅実な人柄がしのばれる土地で、たくさんの人に出会った。『倉吉淀屋』のご近所には、大社湯さんをはじめ、牧田姓が多いことに気付く。その方たちのご先祖様が、何かしら『淀屋』と関わりがあったかも? と考えると、何だかワクワクしてしまうのだ。八橋往来の起点・赤瓦と白壁土蔵群を抜けたところにたたずむ古い町並み、入りくんだ路地。『淀屋』の歴史に思いを馳せながら、その一つ一つを巡り歩いていくと、ここ倉吉の町が伯耆国の中心として栄えた理由が垣間見える。町の人はその誇りを胸に秘めながら、今の暮らしを大切に紡いでいる。

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倉吉淀屋(旧牧田家)

吹き抜けの天井や梁などに、米・木綿問屋で栄えた商家の跡が。天保9年に増築した数寄屋風書院造りの付属屋は、上級武士をもてなす“迎賓館”だったとか。◎公開/9時〜17時◎定休日/なし(年末年始のみ休み)◎見学自由◎住所/倉吉市東岩倉町◎電話0858・23・0165

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大蓮寺と淀屋清兵衛の石碑

天正年間(1573~1592)、現在地に建立された仏教寺院。牧田家初代の仁右衛門~八代孫三郎の墓石が並び、後年「大坂・淀屋清兵衛」の石塔が発見された。拝観自由。

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豊田家住宅と歴史講談

明治の頃に呉服屋の大店だった町屋建物は見学自由。毎週土・日曜には、二階広間で脇坂さんの「歴史講談」(淀屋の歩み)を1名からでも開催。※木戸銭五百円(お茶・菓子付)時間要確認◎TEL0858-23-0440◎9時~16時◎無休

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大社湯

明治40年創業の木造建築・タイル張りの銭湯は、番台上の掛け時計と共に往時の姿で営業中。町の人が通う※国の登録有形文化財だ(平成22年指定)。◎16時30分~20時営業◎5・15・25日定休

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中野桶樽工業

長野県産木曽ヒノキで手作りしたおひつ・まな板・風呂桶など、生活道具が多彩に揃う。◎9時~17時営業◎無休

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山陰民具

四代に渡って店主が集めた古美術品・古民具・生活日用雑貨は数千点。雑貨ファンの女性客が気軽に立ち寄る。◎8時~19時営業◎無休

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米澤たいやき店の「たいやき90円」

小麦粉だけの白皮の中から、十勝産小豆の自家製あんがトロリ!金型で1匹ずつ焼く美味しさは、昭和23年の創業時から不変。◎10時~19時営業◎火曜定休

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久楽の「石臼コーヒー小豆付き500円」

自分で石臼を廻し、コーヒー豆を挽く作業が新鮮。香り高いコーヒーと甘い小豆煮の取り合わせは、散策の疲れも癒してくれる。◎9時~17時30分◎無休※赤瓦5号館

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香味徳の「牛骨ラーメン500円」

年季の入った店構えの奥で店主・紙徳益男さんが仕込むスープは、上品ですっきりした味。最後まで飲み干せる旨さだ。◎11時30分~15時、17時30分~21時◎不定休